The Wild One 『ザ・ワイルド・ワン(邦題・乱暴者=あばれもの)』

反抗児。不良。ならず者。ワル。どんな言葉で呼ぶにしろ、常識と正統に逆らって己の趣味嗜好を押し通すアウトサイダーたち。大人の硬直した退屈な日常に対してオブジェクション(異端)を唱えることを辞さない男たちの洒落っ気と遊び心は、独特の表情を纏ったタフでしたたかなめかし方を生み出してきたのだった。ブラックレザージャケットに細身のジーンズ。日本で俗に革ジャンと呼ばれるハードな匂いのレザージャケットを着て、すましこんだスクエアな世界へずかずかと入り込んできたのは、バイカーたちである。
モーターバイクに乗ったワル、日本で暴走族と呼ばれているバッド・ボーイズ・グループは、早くも1950年代のアメリカを走り回っていた(因みに、ハーレーダビッドソンを偏愛するヘルズ・エンジェルズが結成されるのは、1950年のことである)1953年に作られた映画『ザ・ワイルド・ワン(邦題・乱暴者=あばれもの)』では、ブラックレザー・ジャケットを着た若いバイカーたちの暴力と反逆精榊に満ちた生態を、リアリスティックに描きだしている。

レース場からくすねてきたトロフィーは
自分への勲章であった。
西部劇に出てくるような町に乱入したB.R.M.C.の面々。カフェでロングネックのビールをあおる。

主演は、まだ20代の若さがきらめいていたマーロン・ブランド。胸には、自分の名前”Johnny”、背中には危険を示す大きな髑髏(どくろ)マークとグループの略称を入れた革のジャケットを着こみ、徽章なしのポリス帽のような帽子を被っている。とことん反抗的なバッド・ボーイの顔の奥に、純な感じやすさを隠し持つジョニーを演じたブランドの存在感は際立っていた。
この映画によって、危険な魅カを撒音載りして走り狂うバイカーたちは、アメリカン・ボーイたちの注視の的となる。そして、ブラックレザー・ジャケットは、単なる防寒用のヘビーデューティ・ウエアから、反逆の美学を纏う、アウトサイダーズ・ファッション』としての変容をいち早く遂げていったのだ。
『ザ・ワイルド・ワン』のなかで、ブランド=ジョニーをリーダーとするバイカーたちの傍若無人ぶりに腹を立てる町の往人たちは、旧弊で時代遅れの田舎者として猫かれている。古臭い良識を振りかざしながら、その実いざとなると平気でリンチ的暴力を振るうことを譲さない旧世代。それとの対比がスクリーンのなかのブラックレザージャケットに、いっそうクールでナイーブな表情を与えていて、この映画の出現によって、レザージャケット・スタイルが急速に広まったというのも,うなずける話である。
ところで、ブラックレザー・ジャケットに若々しい生命を吹き込んだ映画『ザ・ワイルド・ワン』は、イギリスでは1967年まで公開が禁じられていたという。この映画を見た少年少女たちが、マーロン・ブランド扮するジョニーの強烈なバイカーぶりに影響されたら困る、というのが理由だった。働きもせずに、バイクを乗り回してのらくら遊んでいる場面を見せられたら、勤労意欲を失ってしまうのではないか。そんなふうにその筋の役人たちは考えたらしい。確かに、恐もてのするレザー・ジャケットを着て、気ままにバイクを走らせている姿というものは、勤勉や労働や日常的規律といったものからは、はなはだ遠い存在にちがいない。逆に言えば、そうした遊びと放縦さに彩られた時間のなかに置かれているからこそ、ブラックレザー・ジャケットはいきいきとし活力と柔らかみを湛えているわけであるが。もともと戦闘機のパイロットたちによって着られていたレザー・ジャケットは、軍用重衣料という性格が強かった。現在でも、こうした伝統はハイウェイ・パトロールの警官たちに引き継がれている。権威と秩序に奉仕する男たちが身につけているだけだったら、レザー・ジャケットは、そのまま普通の防寒ウェア、実用的に富むウインター・アイテムとしての実直な存在でありつづけたかもしれない。だが、マーロン・ブランドという鮮烈な個性との出会いを果たしたとき、ブラックレザー・ジャケットは、反抗する若い魂を包み込む"怒れる若者たちの何よりも愛するアイテムと化したのである。

LA近郊の本物のバイカーを起用したと云われているB.R.M.C.の面々。 敵対グループのボス「チノ」役のリー・マービンをぶっ飛ばすジョニー。

古くは『理曲なき反抗』のジェームス・ディーンから『ランブルフィッシュ』のマット・ディロン、ミッキー・ロークまで、レザー・ジャケットは、バッドボーイの個性を光らせる役目を務めてきたと言っていい。同じ反抗児といっても、もっと生々しく、荒々しいまでの暴力性を帯びたヘルズ・エンジェルズによって着られるとき、ブラックレザー・ジャケットは、さらにワイルドで危険な匂いを放つ、スキン・ウェポンと云ったてかりを発しはじめる。大型バイクに悠然かつ傲然とまたがり、バンダナを風になびかせて疾走する屈強なエンジェルズたちが纏うレザー・ジャケット。それが時として、親しみと快活さを感じさせることがあるのは、とことんワル感覚のスタイルに徹することによって、世間からの懐柔と和解を自ら拒否しているある種の率直さにあるのかもしれない。そう言えば、映画『マスク』に登場するアメリカン・アウトローバイカーたちのなんと優しげで、健気で、男気に富んでいたことか。この映画のなかで、難病で顔が化け物のように変形した少年に、屈託のない愛情を注ぐ荒くれ男たち。このアメリカの暴走族たらは、馬ならぬ、鉄の馬に乗る野生児であり、杜会に対して引け目を覚えることのない自由人として描かれていた。ナチのヘルメット、鉤十字、刺責、イアリング。ぞっとするアクセサリーを異端とアウトローの印として、彼らたちは身に帯びている.だが、こうした小道具だけでは、改造ハーレーのハイ・パワーに対抗できない。それらを競合するものとして、結局ブラックレザー・ジャケットの助けを借りるしかないわけだが、それはある種の魔法の力のせいではないかというような見方もある。ブラックレザー・ジャケットの出自と歩みを考察した『ザ・ブラックレザー・ジャケット』の著者ミック・ファーレンは、こんなふうに書いている。「それを身につける者にともかく確かな力を帯びさせることができるということ…。ブラックレザー・ジャケットで知られる人物が、攻撃力を発揮するのを見ることができる。現実の20世紀の竈法に、われわれは向かい合っているのだろうか?」
ロック・ミュージシャンたちが、ブラックレザー・ジャケットを着るようになったのも、魔法の力を纏って自らのパワーを高めたいという思いのゆえだったにちがいない。かつてフォーク・ソングからロックヘの脱皮を目ざしたボブ・デイランが選んだのも、タフでしぶとくて、自曲なオフ・ビート・テイストを鞍めしこんだブラックレザー・ジャケットだった。それから40年近く経った今も、ブラックレザー・ジャケットは、アウトサイダーたちの生活と行動に溶け込み、その表情に自負と生気を与えている。高密度・同質化する世界に対して、その魔法の力はさらに凄みを帯びつつあると言っていいかもしれない。